国情報 of ドゥルックエアー(ブータン航空)Drukair

国名

ブータン王国(King of Bhutan)

ブータン王国(Kingdom of Bhutan)。ドゥルッ ク・ユル。「ブータン」という国名は、サンスクリ ット語(インド)で、“高地”を意味する Bhu-Uttan に由来するといわれています。ブータン人は自ら の国をドゥルック・ユル(Druk Yul/チベット仏 教ドゥルック派の国)と呼んでいます。

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首都

ティンプー(Thimpu)

人口98,676人(2011年)。国王のオフィスもある、タシチョ・ゾンなでもある一方、最近ではボウリング場や、モールなどもあります。町には、信号がなく、中心地では警官が車の誘導を行っています。

国土/緯度 経度

国土:38,394平方キロメートル(九州の約1.1倍)
北緯:26度45分〜28度15分
東経:88度45分〜92度10分

国土は、九州の約1.1倍。北緯は、沖縄とほぼ同じに位置する。

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(第5代国王 ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク)

国王

初代国王:ウゲン・ワンチュク(1907〜1926)
第2代国王:ジグメ・ワンチュク(1926〜1952)
第3代国王:ジグメ・ドルジ・ワンチュク(1952〜1972)
第4代国王:ジグメ・シンゲ・ワンチュク(1972〜2006)
現第5代国王:ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク(2006〜)

第5代国王は、2008年に戴冠式が行われ、2011年10月に現王妃、ジェツン・ペマ・ワンチュク氏とご結婚。

首相

ツエリン・トブゲ(ブータン王国現首相)

1965年9月19日生まれ。米国ハーバード大学で公共政策の修士号を獲得。

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国旗

十字の金剛枡は世俗と宗教の権威を調和し、その下の蓮の花は清らかさを、上の宝珠は国王の権威を、雄雌の龍はブータンの国名であるドウルック・ユル(雷龍の国)を象徴しています。

黄色は国王の持つ世俗的権威を、オレンジ色は仏教における実践と精神力を表しています。龍は、「雷龍の国(Druk Yul)」と言う国名に由来し、その純白な白は他言語、他民族からなる国民の忠誠心を、また龍の開かれた口はブータンを守護する護法尊の絶対的な力を意味します。爪につかまれた宝珠は国の豊かさと欠けることない完全さの象徴です。

地方行政区分

ブータンでは、20の県(ゾンカク)に分かれています。基本的には、各ゾンカクには、それぞれのゾンがあり、聖俗両方の中心地として機能しております。

Bhumtan(ブムタン)/ Chhukha(チュカ)/ Dagana(ダガナ)/ Gasa(ガサ)/ Ha(ハ)/ Lhuentse(ルンツエ)/ Mongar(モンガル)/ Paro(パロ)/ Pemagatshel(ペマガツエル)/ Punaka(プナカ) / Samdrup Jongkar(サムドウブ・ジョンガル)/ Samtse(サムツエ)/ Sarpang(サルパン)/ Thimphu(ティンプー)/ Trashigang(タシガン)/ Trashi Yangtse(タシ・ヤンツエ)/ Trongsa(トンサ)/ Tshirang(チラン)

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人口・民族・言語

人口:683,407人(男性357,305人/女性326,102人)※2009年調べ
民族:チベット系:約60%/ネパール系:約20%/その他:約20%
言語:ゾンカ語

ブータンでは、チベット系の民族が多く、南インドに近づくに従いネパール、インド系民族が増えてくきます。写真の通りブータン人と日本人は顔がとてもよく似ています。母国語は、ゾンカ語ですが、学校の授業を全て英語で学ぶ為、最近の若者達の殆どが英語を話ます。

通貨

ニュルタム(BTN) ※1BTN=1.63JPY(2012年4月現在)

紙幣:1000、500、100、50、20、10、5、1の8種類。硬貨:1ニュルタム、50チェトラム、25チェトラム。但し、チェトラムは、殆ど使われておりません。

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国花

メコノプシス(ヒマラヤの青いケシ)

高山地帯で見られる。ブータンでは、7月の終わりから8月にかけて鑑賞する事ができる。

国樹

イトスギ

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国獣

ターキン

体が牛で、顔がヤギのような珍獣。ティンプーのモティタン動物園でご覧頂けます。

気候

ブータンの気候は、3つの気候に分けられます。
・ツンドラ気候(標高3,000メートル以上/国土の約44.6%)
・モンスーン気候(標高1,200メートル〜3,000メートル/国土の約40.3%)
・亜熱帯性気候(標高1,200メートル未満/国土の約15.1%)

標高200メートル前後の南部一帯は高温多湿でジャングルにはゾウやサイも生息していて、マラリアなども蔓延するジャングル地帯です。首都ティンプーをはじめ主な町のある標高2,000メートル前後の内陸部では比較的涼しく、四季は日本とほぼ同じで、水田等、日本と似た風景が見られます。又標高4,000メートルの地帯では夏の間ヤクの放牧が行われる高原地帯で、更に北部に行くと万年雪に覆われた7,000メートル級のヒマラヤ山脈が連なります。

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歴史
627年にパロのキチュ・ラカンとブムタンのジャンパ・ラカンがソンツェン・ガンポによって、建設され ました。8世紀には、クル・パドマサンババがチベット仏教を伝えました。グルは今日でもブータンの人々の精神的 な支えとなっています。9~17世紀にはチベットから異なる宗派の仏教勢力がブータンに拠点を作り、17世紀に は、チベットからやってきたシャブドゥン・ガワン・ナムゲルがこの国の地の支持者となり、政治と宗教の2本柱によ る国家の基礎を構築、各地にゾンを建てました。1864年には、イギリス、ブータン戦争が勃発し、その後敗戦と 共に、イギリスとシンチュラ条約を締結いたしました。1907年にワンチュク家(現王朝)が支配権を握り、12月17 日にウゲン・ワンチュクが初代国王になりました。しかし1910年から1949年までイギリスの保護下に入ります。 1926年にジグミ・ワンチュクが第2代国王になり、1949年には、インド・ブータン条約が調印されます。当時は、 多額の補助金がブータンに付与されていた為、インドの保護国的な印象を受けました。第3代国王のジグミ・ド ルジ・ワンチュクの時代には、鎖国政策を改め数々の近代化を推進し、1972年に16歳で王位を継承したジグミ ・シンゲ・ワンチュク国王は、自然や伝統文化を保持しつつ持続可能な近代化を国の基本としました。1999年に は、国内テレビ放送が開始され、インターネット利用も許可されるようになりました。2006年にジグミ・ケサル・ ナムゲル・ワンチュクが第5代国王に即位して、2008年3月に国民議会選挙が開かれ、4月には、初の民主 首相としてジグメ・ティンレイが首相に選任されました。
627年
パロのキチュ・ラカンとブムタンのジャンパ・ラカンがソンツェン・ガンポによって建設される
747年
パドマサンバヴァがチベット仏教のニンマ派を伝える。
1626年
ドゥク派(チベット仏教カギュ派の支派)座主織をめぐり内紛。座主職を相伝してきたギャ氏のシャブドゥン・ガワン・ナムゲルの継承に対し、反対派が「先代の化身ラマ」を擁して対抗。時のチベット中央政府の介入により座主織を追われたガワンナムギャルが南方モン地方の支持者に迎えられて政権を樹立。ブータン国家の起源。
1617年
チベット・ツァンパ政権による第1回侵攻。
1634年
チベット・ツァンパ政権による第2回侵攻。
1639年
チベット・ツァンパ政権による第3回侵攻。
1644年
チベット・ダライラマ政権(1642年成立)による攻撃。
1648年
チベット・ダライラマ政権がブータンを攻撃。
1649年
チベット・ダライラマ政権がブータンを攻撃。
1651年
シャプドゥン権力の座から退く。ドゥック派は東部地方を除くブータン全土に浸透していった。
1692年
タクツァン寺院建立。1998年に寺院の大半を焼失。その後再建。
1714年
チベット・ダライラマ政権がブータンを攻撃。
1825年
ジグミ・ナムゲル、クルテに誕生。(~1880年)
1864年
イギリス=ブータン戦争(ドゥアール戦争(英語版))勃発。
1865年
ドゥアール戦争に敗北し、イギリスとの間にシンチュラ条約(英語版)を締結。イギリスは領土占領と引き換えにブータンに年5万ルピーを補償金として支払うことになった。ブータンはアッサム、ベンガル、ドゥアールの7.122平方キロメートルにおよぶ全領土を喪失した。
1870年
ジグミ・ナムゲルはデシに任命される。
1882年
ウゲン・ワンチュクはトンサ・ペンロップとなった。
1907年
ワンチュク家(現王朝)が支配権を確立する。12月17日、ウゲン・ワンチュクが初代世襲制国王に選出される。ブータン王国となる。
1910年
プナカ条約(英語版)締結。1949年までイギリスの保護下に入る。
1926年
ジグミ・ワンチュクが第2代国王になる。
1947年
インド・ニューデリーで行われたアジア関係諸国会議(Asian Relations Coference)に参加。
1949年
インド・ブータン条約(英語版)調印
1952年
ジグミ・ドルジ・ワンチュクが第3代国王になる。
1964年
ジグミ・パルデン・ドルジ首相(英語版)が暗殺される。
1971年
国際連合に加盟する。128番目の加盟国として国連への参加を認められた。
1972年
ジグミ・シンゲ・ワンチュクが第4代国王になる。
1973年
非同盟諸国会議(NAM)に出席。
1974年
第4代国王戴冠式。
1985年
南アジア地域協力連合(SAARC)に参加。
1990年
反政府運動激化。南部居住のネパール系住民が国外に脱出し難民化する。
1990年
国内テレビ放送開始。インターネットの利用を許可。
2005年
ワンチュク国王、2008年の譲位と総選挙後の立憲君主制移行を表明。
2006年
当初の予定を繰り上げて、ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクが第5代国王に即位。
2007年
12月、初の普通国政選挙となる国家評議会(上院)選挙を実施。
2008年
3月、普通選挙による国民議会(下院)選挙を実施。4月、初の民選首相としてジグメ・ティンレーが選任される。7月18日、新憲法が公布される。
2011年
10月、第5代ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王ご結婚